2013年2月12日火曜日

(人生の贈りもの)音楽プロデューサー・松任谷正隆:2 通学、救ってくれた音楽


発行日 =2012年8月7日  ソース =夕刊
面 名 =夕刊be火曜2面  ページ =4
発行社 =東京  文字数 =1213

(人生の贈りもの)音楽プロデューサー・松任谷正隆:2 通学、救ってくれた音楽(60歳)
 ――幼いころから音楽を?

 僕、子どものころから変人なんですよ。たぶん、パニック障害。
 東京・高井戸で生まれました。父は旧東京銀行の銀行員で、母はゴルフ場建設で有名な安達建設の娘。四つ違いの弟がいて、電蓄から、時々クラシック音楽が流れる家でした。4歳からピアノを習い始めたんですが、幼稚園の時から、CMでもなんでも、テレビから流れる曲は、両手でパッと弾けたんです。ガラス瓶をたたいても、音程がわかる絶対音感もありました。近所の人や友達からはおもしろがられたけど、楽譜を読むのも得意じゃないし、ピアノの先生や母にはほめられませんでした。練習しないから、発表会でも女の子の方がずっとうまくて、挫折感は毎回、味わってましたね。

 ――小学校は慶応幼稚舎へ

 毎朝、京王井の頭線の満員電車で通学するんですが、これがどうしても耐えられなくて。途中で気分が悪くなっちゃうんです。嘔吐(おうと)するというわけじゃなくて、自分の中のエネルギーがなくなっちゃうっていうか、とにかくたくさんの人がいる電車の中にいると自分がおかしくなる。毎日、渋谷にたどり着くのがやっとで、駅長室でしばらく休ませてもらって。駅長さんとは仲良しでしたよ。そこからうちへ戻るしかなくなったことも何度もありました。本当につらいのに、先生も両親も「根性がないからだ」「どうしてこんなのになっちゃったんだ」と、理解してもらえず、不登校になるギリギリでしたね。

 ――近くの公立へ通う選択は?

 公立だったら、確実にいじめられていたと思います。本当に変人でしたから。給食もダメ。集まって食べる雰囲気が嫌。味の好みもはっきりしていて、嫌なものは体が受け付けない。カレーシチューと竜田揚げは好きだったけど、ホワイトシチューがメニューに載った週は、もう1週間ブルー。

 ――救ってくれたのが音楽?

 変ですけど、自分をすごく客観的に見られて、「魂を分離することもできる」と信じていた子だったんですよ。だから、ある時から電車内で「ナチュラルトリップ」を始めるんです。これは僕が名付けたんですが、つらくなってきたら、頭の中でピアノコンチェルトを流して、ピアニストの自分がオーケストラと一緒に弾いている姿や、指揮者になって指揮している姿を妄想するんです。そうすると、ものすごく気持ちがよくなって、満員電車も気にならなくなる。当時から、自分には音楽しか取りえはないと思っていましたし、ピアノがうまくなりたいと思っていたから、効果があったのかもしれませんが。

 ――早々に会社員はあきらめた

 満員電車に乗って、毎日同じ時刻にきっちり通勤する生活なんて僕には絶対無理。でも、ミュージシャンなんて考えは当時はゼロですから、なるなら学校の音楽教師と思ってました。長期休みもあるし、相手が子どもならなんとかなるかと。(聞き手・宮坂麻子)

 【写真説明】
慶応幼稚舎時代、ピアノの発表会でおすましする正隆さん

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